okatruckの日記

オカヤドカリとダットサン のキャンピングカーのブログです

ダットサン キャンピングカーで北海道へ 〜夕張炭鉱と夕張の町〜

苫小牧を出発して、今回の旅の(自分の中の)最大の目的地、夕張へ!

夕張炭鉱、どうしてもこの目で見たかったんですよ

ちなみに前回の旅行の時(10年以上前の11月)も来てます(・ω・)

前回の写真ですが

来れたー!!

って、なんか様子が変だなあ

ひと気がないというか、寂しさというか

ここが入り口か

ここに来てぼんやりとした不安から、確信した恐怖へ

あっっっかーん/(^o^)\

いや、11月になると北海道の施設は冬季休業に入るようで

マジでやっつんた!←ほんとにやばい時は福井弁がでる。やってしまったの意

とほほ(›´ω`‹ ) ゲッソリ

その後、ホテルにどうやって戻ったのか、何を食べたのか記憶にないですもん

で、今回、そのリベンジに

行くぞ!ダットサン 

すっごい道でしょー?

どこまでもどこまでも、永遠に道が続くようです

さすが北海道!

苫小牧から車を走らせ

途中、モスラに出会い(●´ω`●)

デカすぎる!

夕張市の入り口へ!

夕張市、色々とありすぎた街で

詳しくはググって下さい

どうしても街をこの目で見たかったんです

 

元々、炭鉱で栄えた街でした

が、1973年、流体革命が起こり

石炭といった個体燃料から、石油などの液体燃料への最終転換期だったんですね

また国外から安い石炭が押し寄せ、日本の炭鉱は絶滅しました

現在、国内にも稼働中の炭鉱はある事はありますが、研究、教育的な意味合いで採算度外視です。

休業中のホテルです

前回行けなかった石炭村へ!
と、通り過ぎてました

橋が車両通行止めになっている、だと?

ん?なんだ?

パッと見て風化が進んだSLが

内部の骨組みや、その巨大さから、造り物のSLですなあ

ここ、石炭の歴史村と呼ばれた遊園地、キャンプ場の跡地のようです

この建屋はSL館と呼ばれ、今でも本物のSLが保存されているようですよ

崩落が始まっているな

自然に還りつつあり

奥にプールのウオータースライダーだった物が見える事だと

ここがメイン広場だったのかな、当時

と、営業中の博物館へ

ここに!炭鉱があったのです!

炭鉱が閉山し、観光客を呼び込む戦略にチェンジ

煙突だけが炭鉱当時の物で、あとは整地され遊園地の駐車場に

結果・・・

うぅ(;ω;)

博物館に入る前に外周部を探検しましょう
今まで石炭を産み出していた場所に、売るものが無くなったから観光地化(人を呼び込む)というのは無理があったのでしょう

遊園地の跡地だけが残り

夏草や 兵どもが 夢の跡

まさに炭鉱を築き上げた兵(鉱夫)たちの夢の跡です

ただ春の夜の夢の如し、だったのか?

または、夢のまた夢、だったのか?

そんな事どうでもいい

ただ、ここに炭鉱があり当時、一大炭都があった事を語り継いでほしい

それが遊園地化、跡形もなく自然に還ろうとしてるなんてな

 

ここは遊園地にあったストラン、望郷

当時、炭鉱が終わりをつげ、友人が減っていくぼんやりとした不安を消し飛ぶに十分なインパクトを持つ遊園地の開園、お父さんお母さんに手を引かれて一日中遊んだ少年少女の先には

水上レストラン

あかん、ブログを書いてて泣けてくる
今は静かに余生を送っているようでした

 

よし!博物館へ!

って、数年前に見学可能な坑道で火事があったようで、復旧工事が(・・;)

あらら

見えます?

ここが夕張炭鉱始まりの地、石炭が顔を出してる場所なんですよ

当時のお役人がここを発見、炭鉱事業が始まりました

前も来てまして

これですね

ちなみに鉱山の始まりは、山師と呼ばれる方々が山を歩き回り、そこの石を見て鉱脈があるとかって判断、ボーリング調査となるようです

炭鉱は金属鉱山と違い、粉塵爆発やガス発生など、非常に危険な場所でした。

産業革命後、ヨーロッパでも炭鉱開発が盛んになりますが、細く狭いトンネルのような坑道での作業は子供が駆り出され、事故により多くの命が失われています

日本の炭鉱では、親方を頂点とした擬似家族制度が設けられ、親方が絶対であり、作業員はまず親方と盃を交わしたとの事です。命の危険があったゆえですね。

 

石炭の話をもう一つ

機関車トーマスって知ってます?

アンパンマンよろしく機関車に顔が付いたイギリスのお話ですが、

操縦士とトーマスの自我のせめぎ合いって、どうなんだ!?

という心配ではなく、トーマスをはじめ皆さんカラフルじゃないです?

赤や青、緑の車体って

日本はD51をはじめ真っ黒です

これは採れる石炭に由来しています

イギリスでは無煙炭と呼ばれる最高級の石炭が採掘されていました。読んで字の如く、燃やしても煙が出にくい石炭だったんですね。

なのでモクモク煙が出て車体が煤で真っ黒って事がなく、カラフルな車体が生まれたようです。

この無煙炭、近代のイギリス海軍が最強であった事にも繋がります

当時、軍艦は石炭を燃やして動力源としていました。で、煙突からモクモク煙が出るんですが、この煙がいけない。

目視で敵艦に大砲の照準を合わせるのに、高く伸びた煙はいい目標になるんですよ

無煙炭だと煙が少なく、あれー?敵艦どこー?ってなるわけです

ちなみに弾道計算は、数学者が計算してました

これを自動で計算するようにしたのが弾道計算機といって・・・この辺でやめておこう

 

 

さて、中に入りましょう

厳しいなあ

いや、すごい見応えでした。

炭鉱のこと、夕張の歴史など、来れて良かった

 

ほうほう(゚ω゚)

これが冒頭の石炭歴史村です

SLとサイロ状の建屋が残っているだけですが、こんな賑わいが

奥に見えたウオータースライダーです

いや、涙が(つД`)ノ

 

そして炭鉱内部の再現性の凄さ!

採炭の歴史が見て取れます(●´ω`●)

坑道を再現した展示です

お馬さんが石炭を運んでいます

 

これが最終時の切羽(採炭の最前線)

ここ、何がすごいって、実際に夕張炭鉱で働いていた方(鉱夫さん)が説明してくれるんですよ!

元鉱夫さん『説明するでー』

機械もがおおぉぉぉ!って実際に動いている状態を見せてもらえます

すごく貴重な体験をさせて頂きました

わい『鉱山は採掘を終えると最終的に水没するのか?今まで見てきた鉱山跡は、立坑に水を湛えていた』

元鉱夫さん『それは土地によりけり。夕張は今も水没はしていないはず。地下水や温泉が噴出し放棄するような山もあった。』

と、有意義な時間を過ごしました。

展示してある機械、石炭を採り終えると放置されるんだとか。放置された坑道は自然崩落し、機械は結果として回収される事なく使い捨て状態らしいです。なので、坑道は色々な場所に伸び、常に採掘が行われる状態を維持するようです。

いつの時代か未来人がこの場を調査した際、大昔の機械が発掘されましたってニュースになるかも♪( ´▽`)

ああ、勉強になった

救助隊の方々

非常事態が発生した際は救助隊が編成され、救助に向かいます

 

ああ、すごかった

よし、夕張炭鉱を後にしましょう

 

夕張の街、これ見たかった

どうしても夕張の今を見ておきたかった

映画で栄えた街でもあったのでしょう

ヘップバーン(゚∀゚)

おぉ!確か地球なんだよな←壮大なネタバレ

で、夕張といったメロン!!

お土産にしましょう(●´ω`●)

お世話になった方々に発送して

あと、自分用(*´꒳`*)

うひょおおぉぉ

夕張メロン、かわいいよ、夕張メロン(●´ω`●)

さっそく食べようと思ったら、おあずけって(゚ω゚)

 

よし、夕張を離脱する!