2024年の元旦夕方
令和6年能登半島地震が発生した時、北海道の北見市に向かって丸瀬布を走行していました。
ニュースで、能登半島で大地震が発生したと流れ、北陸は思い入れがある土地でしたので、非常に大きな不安、人々は大丈夫か!?りと心配になり。
と、同時に、ダットサンのタコメーターがストンとゼロを指し、エンスト
国道333号線のど真ん中で道を塞ぐように停車
また詳しくお話しますが、なんやかんやあって
ダットは北見市にレッカー移動され、北見市のホテルに転がり込みました
まず言えるのは、
スーパーホテルさん
は、神!!
何よりも宿泊客さんの生命を第一に考えてもらいました。
北見市市内は
寒かったか?って?
自分が考えられる最強防寒を整えて北海道入りしてたので、露出部分の顔以外は意外に暖かくて
また現場がマイナス20℃でしたので、レッカーの方々と、北見市の中心部は暖かいでしょ?って
翌2日に空路、地元に帰ろうと
本当は新潟までフェリーで帰る予定だったのですが、震災の関係で帰れなかったかもな、と
さて、空路で本州で帰るのに、
女満別(北見市から近い)から羽田に帰ろうか、新千歳(北見市から死ぬほど離れてるけど、北海道の空の玄関)から地元に帰ろうか迷った挙句、新千歳に帰るぞ!と判断
さて、札幌まで4時間!!
夕方、新千歳空港に
空港で、丸瀬布という地名は二度と忘れないだろうな
でも無事に帰れてよかった
じゃあ帰ろうか
と空港でキャッキャしながら荷物をまとめてましたら、
周りの方々の雰囲気が変わり
何かただごとじゃない雰囲気を感じました
テレビを見ると、羽田空港でJAL機のエンジンポッドが炎上していました
この時は海上保安庁の機体と衝突したらしい、という情報のみで、
ヘリコと衝突したらしい、とか情報が錯綜していました
そこからは空港の動きは早く
この写真が19時37分でした
羽田に向かっていた機体はダイバートしたのでしょう
ただお客さんは大きな混乱もなく、皆さま冷静に対応されていたようでした
自分たちの機体も大幅な時間の乱れがありましたが、
家に着いた時には日付が変わり
と同時にとんでもない疲労が
航空機事故があった際に、関係する空港にいて、当局の対応、またお客様の対応をまざまざと感じました
震災と事故でお亡くなりのなった方がのご冥福をお祈りするとともに、
早く平穏な生活が戻りますように
Okaちゃん、どんな年末年始だったの?、てか何やってるの?ってなると思うんですが、それはまたゆっくりと