最初、ダットを回収したレッカー屋さんとは遠軽で分かれるはずでした
ただ終電後でしたので北見市まで運んでいただけ(つД`)ノ
この駅では一晩過ごせなかったな( ˘ω˘ )
そして一生忘れることがないであろう
丸瀬布前駅のセコマさんがオアシスです(*・ω・)ノ
と、電車は山岳地帯に
と、無事に旭川駅に
あとは旭川で乗り換えて、とりあえず札幌に向かおう
で、札幌に到着しました
札幌駅に着いたのが14時前
北見駅を出発したのが9時前だったので、5時間くらい電車に乗ってたわけですね
札幌駅でとりあえず食事をとったんですが、さすが1月2日!お店は閉まってるかすごい混雑
トリトン行きたくて向かったんですが、閉まってました(・ω・)
駅の中で
なんとかお寿司やさんに入り、家に帰れるという安堵感から好き勝手食事とお酒を飲んでました
いや、お正月ということで玄関に樽酒が置いてあって、またこれが美味しくて美味しくてψ(`∇´)ψ
◯チゲ解放でしたね
妻と二人でお酒4合、生2杯飲んでた(・ω・)
びっくりしたのは、終始母が元気に振る舞ってた事でした
よくまあ地獄を潜り抜け、強行脱出にスタスタと付いてこれたなあ、と(・ω・)
母の明るさに何度も助けられました
で、飛行機に乗ろうと新千歳空港に入り
はて、ダットサンの処遇、地獄の業火と称したホテルのボヤ騒ぎ、どう処理しようかな、と
こりゃ家帰ってからも頭痛が痛そうだ、と
新千歳空港ではぐったりしてたんですが、周りが騒がしくなり
ん?ってテレビを見ると羽田で飛行機が炎上していました
JAL機が炎上したようだ、回転翼機(ヘリコ)と衝突したようだ、と情報が錯綜し
羽田は諦めて関空やセントレアなど別の空港経由で関東に帰ろうとする方々で大変な状況になってました
と、自分の飛行機も大幅な遅れがあり
どーする?空港の中でお土産でも見に行く?って家族に聞いたら、もう保安ゲート通ろうや、って(・ω・)
無事に離陸して
やっと本州に帰還できた(つД`)ノ
ただ空港から家までは電車で帰る必要があり
帰りの電車は終電でした
駅で、飛行機が遅れて電車乗れなかったらどうなるの?って駅員さんに聞いたんですよ
きっと空港がホテルとってくれるんやろなあ、って
皆さんタクシーか、あと空港のコンビニで夜を明かしてますねえって
自分の父、1970年代だと思うんですが、スイスで飛行機が遅れるトラブルがあった際、ラウンジに連れてかれて、好きなもん飲んでくれ!って
で、ラウンジで(タダ)酒をうまいうまいと飲んでたら、自動小銃を持った警官が数人走ってきたようです。周りのお客さん(外人)はとっさに地面に伏せたようで、気にせずお酒を飲んでたの、お父さんだけだったわ、って(・ω・)
日本では実弾を装填した機関銃をぶら下げた人って見ることないと思うんですよ
自分、エゲレスの地方都市行った際に駅でサブマシンガン(MP5)をぶら下げた警官を見て、やっぱり海外はすごいなあ、と
で、上司が面白がって、あのマシンガンぶら下げた警官に道尋ねてこいよ!って、ええ
え、えくすきゅずみー?らゔみーてんだー?
って聞いたら、ハハハどうしたんだい?って普通に受け答えしてくれました
いや、◯◯に行きたいねん、って聞いたら、この駅から電車乗れよ、って
ホームが2つあるからどっちに乗るのか分かんないんだよ!って聞いたら、
どっちも同じ行き先だよ!って(・ω・)
で、駅で切符買う際、シングル(未婚って意味もある)?って聞かれて、疲れてたのか自然と出た答えが、いや結婚してるよ(・・?ナンデソンナコトキクノって(^◇^;)
お互い、えっ?ってなって、ああ、ごめん!シングル(行きだけ)って
ふとそんなことがあったな、と思い出しました
ちなみに要人警護などでSPがあからさまに高火力のマシンガンとかをぶら下げてるのは、群衆に対してイメージが良くないっていうのは海外もあるんですよ。
偉い人が群衆にスピーチしてる際にSPがカチャッてマシンガン構えてたら嫌でしょ(^◇^;)
そのために、ベレッタM93Rのようなマシンピストルや、アタッシュケースにサブマシンガンを仕込んだコッファーという、高火力だけど隠せるという銃火器も存在します。
隠せるって理由で、アメリカでは馬鹿でかいライフルよりも拳銃の方が所持が難しかったりします。ちなみに馬鹿でかいライフル、物によっては1.5kmくらい先の人を狙えるんですが、素人には扱えないって理由で所持が認められてます(⌒-⌒; )
群衆向けのスピーチといえば、ソ連ジョークで面白いのが
党員が群衆に向けて、いかにソ連の未来が明るいかを熱心にスピーチしていた。
イワンが党員に質問した。で、我々はいつ腹一杯のパンを食べれるんですか?と
また翌週、同じ党員が同じ群衆に同じスピーチをしていた。
群衆の一人が党員に質問しようとしたら、党員はどなってこう答えた
『もうパンの話は結構だ!』と
しかし群衆の一人は質問を続けた
『いえ、パンの話じゃなくて、イワンはどこに連れてかれたんですか?』と(⌒-⌒; )
と、話がそれましたね。
無事に家に帰ったのが夜中1時近く
1日では北海道から家には帰れないんだなあ、と
母とは駅でお互いタクシーに乗って別れたんですが、あの後大丈夫だった?と後日聞いたら、お風呂沸かして入って、3時ごろ寝たかしら(・ω・)って
母、つええ!って家族で驚愕し
命の恩人たるレッカー屋さんには地元の名産と名酒、そしてお手紙を送りました。
レッカー屋さんは仕事がらお酒を一切飲まないらしいんですが、奥様は飲まれるとのこと、味は知ってるけど普段買わないような上等なお酒を奥様あてに送り、お手紙はレッカー屋さんの代表宛にしました。
いかにして命を助けられたか、運転手さんがどれだけ高い救難意識を持っているか、を組織のトップに直接お伝えしたく
で、日常に戻ってからは地獄の業火の後始末に個人賠責、ダットの処理に日産ロードサービスの保険に連絡し、なんとか平穏な生活に戻りました
それがさ、ダットの修理を日産のディーラーに拒否され(^◇^;)
いや、ディーラーで面倒見てもらってた車やで?って、ごねたんですが最後はこちらが折れました
そのあたりはダットサン サルベージ編にて(*・ω・)ノ
これにてダットサンキャンピングカー 冬の北海道 家族旅行編 終了!!