okatruckの日記

オカヤドカリとダットサン のキャンピングカーのブログです

真冬の網走監獄で落涙する 〜ダットサンキャンピングカーで厳冬期の北海道縦走 網走編〜

北見市の夜道で歩いててゴロンゴロンと横転しまくり、結局夜の街を堪能できないまま朝を迎えました

ただお酒が綺麗に抜けたので、これはこれで良かったな、と

朝8時半に北見駅車屋さんにピックアップしてもらうお約束なんですよ

7時半ごろホテルをチェックアウトして

つらら、すげえぇぇ!

駅前の喫茶店でモーニングしましょうか

なかなかいい写真や(●´ω`●)

って、ない(・ω・)

雪山はあるんやけどな

北見駅周辺に喫茶店なかったわ

飲み屋さんはめちゃくちゃあるのに(・ω・)

 

と、ダットと再会し(つД`)ノ

お、お前、元気だったかよ!

オートガレージCAMPさん!にて



なんで真冬に本州のキャンピングカーが北海道来てるんだ?って工場のオーナーさんが困惑してました(⌒-⌒; )

で、ダット(パートタイム4駆、LSD付き)で、さらにMTだったことで納得されたようです♪( ´▽`)

店員さんが、これATだったら冬の道東は走れなかったよ、と

んー?そんなもんか?って走り出して納得

もうね、路面状況がががが

積雪アリ、圧雪、片輪だけ圧雪、とか路面状況が刻々と変化して殺しにかかってる(・・;)

あとね、元の路面なんて知らないから中央線どこー?とか、歩道、どうなってんの?とか、視界が全て真っ白で、これどこ走ってるんだ?道あるのか?状態に

エンジン回転数を制御できないATだと相当にキツいな、って(^^;;

 

ちなみにダットのリアショックはランチョなんですが、減衰をオンロード向けの硬いままにして、リーフを1枚増してちょい前傾姿勢にしてあるせいか、

二駆では満足に発進できないんですよ(^◇^;)

北海道滞在時にやってたことは発進時だけは4駆(4H)にして3速に放り込むくらいで2駆に戻してました。で、停車したらまた4駆にって

常時4駆はしたくなかったんですよ

4駆状態でスタックすると地獄ですからね。

しかもLSD効いてるんで、スタックしたらどのタイヤも終わってるって状態ですので

 

なんやかんや嬉しくて、さあ行こう!

厳冬期の網走に!

 

ってさ、まず女満別空港iPad を取りに戻りましょう(・ω・)ノ

okatruck.hatenablog.com

これ、飛行機飛ぶのか(・・;)

雪国の空港、すごい(⌒-⌒; )

この時点でマイナス9℃

これが通常の温度なのか、暖かいのか、寒いのか、もう分からない

わい は考えるのをやめた

 

で、女満別から網走監獄に向かってる最中

ドラえもん!!

どうしちゃったんだい、ドラえもん

メ、メデューサに石にされちゃったんだね!?←のび太の魔界大冒険から

 

で、トコトコ走ってて

ん?

およ?

んだ?

なんかあるのか?

と車を停めてキョロキョロ見ても、何にもないんですよ

高い場所から見ればいいの(・・?

ハシゴをテコテコ

何にも無いな(・ω・)

全てが凍りつく世界でわざわざキャンピングカーの屋根に登ったのに、何にもなかった(゚ω゚)ヤラナキャヨカッタ

で、マジでこれってなんだったの(^◇^;)

もしかして木が並んでるのがそんなに珍しいのか!?

 

で、網走湖に!

これは感動するやろ!

 

ゆ、雄大すぎる

湖が凍ってるんですよ!?

 

色々と感情が昂って涙が出ました、割とマジで

夏の網走湖を見たことが無いですが、自分の中で網走湖は真っ白に凍りついたイメージとして脳裏に焼き付きました

真冬の網走を愛馬(ダット)で駆け抜ける、とか

一生モノの思い出ですよ(つД`)ノ

 

で、どうしても行きたかった

網走監獄にッ!

Veni vidi (来た 見た)

これすごくて、網走監獄に到着するちょっと前にオーディオからプレスリー

Jailhouse rock(監獄ロック)が流れてきまして!

なんちゅう偶然や!ってψ(`∇´)ψ

わい『Love me tender(*´∀`)♪←曲を間違えてる』

と監獄に入る前に

Oka!昼飯の時間だ!!

ここは監獄メシ、一択だろうが(;ω;)

あれ?自分の家のご飯より美味し

い、ってまさか、家のご飯の方が美味しいっすよ、は、はははは←普通においしくて逆に困惑している

いや、これだけ美味しいご飯、刑務所で出しちゃダメだろーって(^◇^;)

網走の飯が久々に食いてえなあ、よし!

って悪い人がでちゃうよ/(^o^)\

 

ただ網走刑務所は自前で畑に畜産もやってから食糧事情はかなり高い刑務所ではあったんですよ

古い本だったんですが、戦後そんなに時間が経ってないころ網走刑務所を取材した記者さんの手記を読んだんですね。

一度刑務所の食事を食べさせてもらう約束を取り付けたらしいんでよ

で、約束の日に刑務所に行くと今日は特別食なんですよ、良かったらそちらを一緒にどうですか?と所長さんに誘われたようです。

記者さん、どーせ特別食っていっても刑務所のメシだろ?大したことないだろーって内心バカにして、いえ、私は通常食で結構です、と

そうると所長さんが、こりゃ豪勢だ、囚人、今日は騒いでるだろうなあ、と独り言を言うようです

所長さんのとこには分厚いカツの乗ったカツ丼

記者さんのとこには、通常食(上の写真みたいな食事ですかねえ)が配られ

所長さんが言うんですよ、どーせ刑務所のメシってことで大した物が出ないと思ってたでしょ?ここは畜産をやってるから特別食にお肉をたくさん使えるんですよ、と

記者さん、あの時のカツ丼に未練がある、戦後間もない時代あんなすごいカツ丼は街中でもなかなか食べれない代物だったと記されてました(^◇^;)

 

喫食!終わりました!!

と心の中で叫び(実際に叫んでたらやべえヤツだ(⌒-⌒; )

入獄!!

法の網をくぐり抜けたはずが、網走にってなψ(`∇´)ψ
なあ、
なあってば

チッ、目も合わせねえ

いや、ここでムショ生活はキツい

最初の資料館にて

国防の最前線たる北海道の開拓に、囚人を使うことを当時の日本政府は選択し

帝政ロシアソ連、間違いなく北海道まで攻めてくる危険性がありました。

実際に戦後、日ソ共同宣言の時に、ソ連は北海道を半分よこせと言っています

ソ連はというと、日ソ中立条約(日ソ不可侵条約)の一方的な破棄というルール違反をしたことを認識しており、日本が武力でもって四島を奪還しに来ることを警戒していました。

なのでデコイ(ハリボテ)の戦車を島に並べるなどして日本側を牽制しています。

 

国防の要となる重労働が、抵抗できない囚人という労働者によってなされたんだもんなあ

これはあまりに重い

実際に囚人道路という道路があるんですが、どうやって道路が建設されたのかも人々から忘れられて記憶が風化してしまいます。

ただ、

この道路には人だまが出るぞ

という噂話が出たようです

いや、さすがにおかしい、と地面を掘り起こすと鎖の付いたままの囚人の遺体がたくさん出てきたようです。それが鎖塚になるのですが、死んでもお構いなしの凄惨を極めた重労働に従事した囚人たちの合言葉は、(生きて)網走に帰ろう、だったようです。

網走から労働に駆り出された囚人、長い道路を建設するのに距離的に監獄には戻って来れないんですよ。囚人と一緒に監獄が付いてくるんです。

ほったて小屋みたいな粗末な小屋を組み立てて寝泊まりして、次の現場にはまた小屋を解体して運ぶという

 

史実としてそのお話は知っていましたが、この極寒の地(網走監獄、お日様が出てる午後2時に屋内がマイナス5℃!でしたよ)に実際に降り立つと、自然と涙が出て、また苦しくなり

どうも凍りついた網走湖で感情が昂まり、そのセンシティブな状態で網走監獄に見学に来たから心が揺れ動いたようで

 

と、さすがに重くなりすぎた

 

続きは後半に(*・ω・)ノ