厳島神社を後にして、姫路城へ向かいますよ(●´ω`●)
宮島口の駅前に何やらカッコいい車が(@_@)
パッカードと聞いてすぐに車がイメージされるあなた!
相当な車好きですね♪( ´▽`)
普通ならパソコンが頭に浮かぶかな(´-`).。oO
しれっとやばい事書いてあるでしょ?
直8て(^◇^;)
直6ですら長いエンジンだ事(*´-`)って感じるから、こりゃエンジンを見てみたいものだ
この頃の大排気量の車、マジで大排気量でしたから!
もうね、1気筒あたりの排気量が狂ってる
1気筒1Lとかザラ(^◇^;)
大排気量ディーゼル エンジンかな(・・?って
これで、キャブレター方式のガソリン車ですから
戦前の言葉ですが、
自分で運転するならアルファロメオ(エンツォさんはまだアルファにいた頃でしょうか)
人に運転させるならロールズロイス
恋人に贈るならパナール(今は亡きフランスの高級車、って調べたら軍用車作ってわ!)
ってあって、少なくとも3本の指に入るような高級車じゃなかったですね
あと日本人が知ってるアメ車といえば、当時はキャディラックでしょう
パッカード、涙無しで語れないエピソードがあり(つД`)ノ
1945年
硫黄島では日米がまさに血で血を洗う激戦を繰り広げました
その時の硫黄島の守備隊の最高司令官であった栗林中将
栗林中将、まだ平和だった若い頃は駐在武官としてアメリカの日本大使館に赴任していました
人を惹きつける魅力のある方だったようで、アメリカ軍の評価も高かったようです
そんなアメリカ赴任時代、ご家族に手紙を送るんですね
まだ字が読めない御子息に、絵をご自身で描くんですよ
そこには、パパはアメリカでパッカードという車を買いましたと
ニコニコ顔の栗林中将とパッカードが描かれた手紙
いや、このお手紙を目にした時、ほんとに涙が出てしまい
山本五十六氏にしても、アメリカ相手に喧嘩するなんて無理だって分かっていたんです
デトロイトでの自動車工場を目の当たりにした当時の日本の知識人、日本が勝てる相手ではないと悟っていました
おっとすまない
車を進めよう
ホットカモさんへ
こんなホテル、むかーしは多かったですよね(●´ω`●)
自分が好きだった大磯プリンスホテルもこんな感じでした(〃ω〃)
日帰り入浴もできるんですよ
サウナにお塩が入った壺が置いてあり、身体に塗りたくって塩漬けOkaちゃんになってました(・ω・)
お風呂も入ったし、今日の寝場所に行きましょう
大晦日の夜、あんまりお客さん居ませんでしたね
店内ブラブラしてたら
で、ダットに戻ってと
お鍋を作ったんですが、塩漬けサウナが効いたのかすぐに寝てしまい(^◇^;)
翌、元旦
皆さま『初日の出って、登りきってるじゃねーか!』
高速降りて、とりあえずマックで腹ごしらえと
元旦の朝、営業されているマックには感謝ですよ!
で、福山に入り
なーんか見覚えあるんだよなあ、この道(・ω・)
って走ってたら、
うん、事故して搬送された病院の前でした(⌒-⌒; )
き、気を取り直して姫路城に向かいましょうかねえ
広島を朝出て、昼過ぎ
姫路城に到着しました
これだけの石垣を作るのに、もうそこら中から石材をかき集めたらしいんですよ
お寺の石燈籠や
カバーかかっているのが、地元のおばあちゃんが供出したという石臼
さらには
古墳を掘り起こして石室までも
まさか古墳に埋葬された豪族も千年以上経って
起きろ!引っ越しだ!
と棺を奪われる事になるとは予想していなかったでしょう(^◇^;)
ちなみに天守閣は戦の際に、まさに籠城する場所ですので
と城内を見学していると
また夕日に照らされる姫路城も美しい
さて、そろそろ長旅も終わりです
家に帰りましょうか